BTS / Dynamite(2020)

 いやはや,せわしない毎日を送っておりました。気づけばもう7月。なぜこんなにも貴重な大学生の時間は颯爽と過ぎていくのでしょうか。そんなことを考えていると,あら。このブログいつから書いてないんだ!せっかく年13000円も払っているのに!

 というわけで,どんなネタを書こうか~と考えていると,こんなニュースを見ました。

「BTS,活動休止」

ほお。なんでだ?

 なるほど,多忙を極めているようです。それもそのはず,彼らはこの数年で,一躍世界の大スターへのし上がったわけですから。特に今回ブログの題にもした,「Dynamite」がビルボードで全米1位を取ってから,彼らの勢いは増すばかりでした。この前はコールドプレイと共作してましたよね,あれもなかなかよかった。なんか,ビルボードの記録も打ち立てていましたよね,「ビートルズに次ぐ記録だ」的な。もはやレジェンド級というわけですか。

 それもそのはずですよね。エンターテイメントとしてのクオリティが圧倒的です。彼らはアイドル的な側面を含みますから,やはり問われるのはその総合力でしょう。数年アイドルの市場を見てきたつもりの私ですから,このことは絶対です(笑)
 サウンドクリエイティブ,プロモーション,その他マーケティング,それらに一貫性が必要ですよね。彼らの曲を聴くとすぐにわかります。彼らが,どういう市場に自らを売り込もうとしたのかは明白です。

JPOPはドメスティック?

「英語で歌う」

 K-POPが世界で一世を風靡する中で,我らがJ-POPはどうなっているのでしょうか。K-POPが世界(ここではアメリカをメインとする英語圏という事にしときます)に向けて戦略を積み重ねていますが,J-POPの大規模なエンターテイメントは,極端にドメスティックな印象を受けます。一番わかりやすいところでいうと「言語」でしょうか。

 やはり,アメリカに売り込むには歌詞は「英語」であり,それをアーティスト自身が扱えることが,かなり重要な要素ではないのかと思います。そこまで詳しくないので,知ったようなことは書けませんが,ビルボードを獲った,Dynamite, Butter, などはもちろんすべて英語です。

 「日本人も英語で歌ってるけど?!」

 たしかにそうなんですが,アメリカの音楽にもファッショナブルなものがあります。上述したような曲はアメリカの音楽市場を徹底的に分析したような感じがするんですよね。自ずとクオリティは高いわけです。基本的にリズム主体,引き算の音楽です。なんかずっと言ってる気がしますが,これからの時代はこういった音楽が主体になってくると思います。それをアジアでいち早く察知ていたのが彼らなのかもしれません。

 もっと言うと,ここが一番の理由かもしれませんが,「彼らが英語を扱えている」という事が重要な気がします。これは別に「英語が喋れる」とかではなく,求められた「英語で歌う」というスキルを,彼ら自身がかなり高レベルで会得している点です。「歌がうまい」日本人は山ほどいますが,「英語で歌うのがうまい」日本人は指を折るほどになるのではないでしょうか。

 アメリカの市場を徹底的に意識した,曲とそれを扱う者のスキル,この二つが合わさり,初めて高クオリティなサウンドになるわけですね。

 それとアメリカ市場へのプロモーションなどの面での意識。これらの一貫性がつよーーく感じられます。その一貫性の上で,彼らは世界的スターとなったのでは。

と考察してみました。

J-POPには一貫性がない

 J-POPはこの一貫性がない気がします。勘違いしてほしくないのは,JPOPが「音楽」として,K-POPに劣っているというようなことは,決してないということ!

 ただ,そのプロジェクト自体に,世界に売り込むという意識の一貫性がないため,なんか中途半端な感じになってるのではないか,と感じます。
 ここでいうプロジェクトというのは,J-POPにおける大規模なエンターテイメントの事。考えてみれば,どんなものかすぐ浮かびますね。これらのエンターテイメントは,かなり国内消費的だと感じませんか(笑)
 それが,良い悪いの話ではなくて,実際そういう構造だね,という話。 

 なんかビジネスの話ばっかりして気持ち悪くなってきました。まあ,音楽と商業は切っても切れない関係なので。たまにはこういうのも書かなければなりません。

 まあ,そんなこと言いましたが,どこで売れようが売れまいが,「良質な音楽」を楽しめればそれいいんですが(笑)

そういえば

音楽と切っても切れない関係で思い出しました。しかも,BTSにめちゃくちゃかかわることで(笑)

 次からの内容は,政治的な内容だったりが含まれますので,気を悪くする方がいらっしゃるかもしれませんのでお気をつけください。でも,見てください。個人的には,音楽とかかわる非常に大事な内容だと思います。

政治と音楽(BTSの原爆Tシャツ事件)

 この内容を書くかどうか,そもそも悩んだのですが,音楽に触れる上でいろいろと考えていかなければならないこともあるな,と感じたので,書くことにします。

 見出しにも書きましたが,今回触れるのはBTSのメンバーの反日感情についてです。よくわからない人は,見出しの言葉をググってみてください。

一人の日本人として

 日本人なら,と強制するのも変な話のような気がしますが,この一件に対して私は一人の日本人として,彼らのことを批判したいです。そもそものデザイン,それを着せるスタイリスト,それを着ることを拒否しないメンバー,日本人が怒りを覚えるのは必至です。

 もし,仮に,そのTシャツに日本を侮辱する意図はなく,愛国心の表れだったと言えど,日本で活動し,日本にもファンが大勢いる中で,それを着るのは,それを受け取る日本人でいい思いをする人はいないことは明白です。

 さらに,原爆Tシャツだけでなく,彼らはナチスを彷彿とさせるような帽子などをかぶり,パフォーマンスを行ったとして,世界から非難されたこともあるようです。

音楽に政治を持ち込むのはタブーなのか?

 私は,あくまでも彼らの行動に対して批判するスタンスを取ったうえで,さらにもう一歩,音楽ブログとして踏み込んだ議論をしたいと思います。

よく,「音楽に政治を持ち込むな」という議論があります。これは,特段音楽に限った話ではなく,サッカーが記憶に新しいですが,スポーツなど国際的な場面で,度々巻き起こる論争です。

 そんな時,ロック脳の私が一番に思いだのすのは「ウッドストック」ですね。いわずと知れた伝説の野外フェスティバルです。そこに集まっていたのは,「反戦」や「平和」を主張する若者たちです。当時アメリカはベトナム戦争に介入し,状況は泥沼化し,多くの死者を出していました。その中で「愛と平和と音楽の3日間」とよく言われますが,このフェスティバルは行われました。(よく言う,ラブ&ピースというのは,こういった文化が元です。)
フェスティバル自体は大混乱に終わり,死者も出るほどでした。詳しくは調べてみてください。ものすごいことになっています。

 それが何って,「音楽,特にポップスは,こういった政治的な背景を多分に含みながら発展していった」という事です。ベトナム戦争のみならず,黒人人権問題,女性問題など,現代的には少しタブーに思える内容から,音楽の歴史は創られてきたという事です。音楽にとどまらず,こういった文化活動全般を「カウンターカルチャー」というみたいです。

その発信者の代表がボブ・ディランで,彼はノーベル平和賞も受賞しています。

 さて,今回の命題は「音楽に政治を持ち込むのはタブーか?」です。

 現代の感覚からして,なんだかあまり芳しくない感じがするのは確か。それは今が平和だという裏返しなのかもしれませんが。。。

 世界的にどうなのかというのは,日本語圏で生活してますのでよくわかりませんが,少なくとも日本のエンターテイメントは,そういった「タブー」に対して排他的な傾向があるように思えます。多くの芸能人は炎上を恐れ,政治的なことに関する発言をしようとしないですよね。たまにいても,どこか煙たがられるような存在になってしまいがちです。メディアにとって都合が悪いんでしょうかね。

 ともかく,ウッドストックの時代の音楽が持つ「思い」と,現代の音楽がもつ「思い」というのは,全くとは言いませんが,かなり性質が違います。それが良い悪いの話ではないです。現代の音楽にも,これまでブログで取り上げてきた通り,良質な音楽はたくさんあります。

が,しかし,その精神性が見えずらいのも事実としてあるのではないでしょうか。

常に歴史と密接に関係してきたポップスは,21世紀の今,これから,どういう遷移をたどっていくのでしょうか。

私が思うに,キーワードは「インターネット」だと思いますね。

まとめ (まとめてはいません)

 なんか,音楽そのものとはあんまり関係ないことをグダグダ書きましたが,私は音楽のこういった側面に非常に面白さを感じます。なので,今回こんな感じのブログを書いてみました。

BTSの話は,後半から,明後日の方向へ飛んで行ったかもしれません。それを楽しみにしていた人はすみません。が,とっても興味深い内容のブログが書けたかなと,個人的には思っています。

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